こんにちは! おぬまです。
前回の「松田聖子のコンサート!! 第6話」からだいぶ時間が空いてしまいました。。。
「おぬまは一体何をしているんだ!」とじれったくお思いになっておられた方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、最近は食生活が乱れすぎていたためにやる気がなかなか起こらず、ぼんやりと本を読んだり、動画を見たり、踊ったり。。。
そんな感じの生活でした。
とにかく、やっとのことブログを書く意欲が湧いてきたので(昨日の大学の授業の影響もあります)、続きをお話ししていきたいと思います!
お待たせしました☆
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フレッシュ! フレッシュ! フレーッシュ!
さて、前回はチェリーブラッサムまでお話ししたと思います。
お次は「夏の扉」です!
まさに、今の季節にぴったりの「サマーソング」ですね~(^^)/
同居人Yが「この歌が頭からずっと離れないー」と以前、笑っていました。
さらに、僕の12歳年下の弟も、かつて僕が高校生だったころ遊びながら「フレッシュ! フレッシュ! フレーッシュ!」と叫んでいました。(今はどうかわかりませんが)
それほどに、この歌には中毒性があると思います。
僕も何かに悩んだときは、たいていこの歌を1回は聴いていました。
聴くと、歌詞通りに心が「フレッシュ」になった気がするのです。。。
コンサートでは、この歌もけっこう盛り上がりましたね~。。。
もうこれがクライマックスか! っていうくらいに会場内は熱狂していました。
そしてその予感通り、聖子さんはこの曲が終わると「みんなー、今日は本当にありがとう~! お元気でー!」と言って退場してしまいました。
「え、これで終わり?」と僕は少し拍子抜けした思いでした。
なんだかあっけなかったような、充実していたような。。。
しばらく陶然としていると、どこからともなく「アンコール」を意味する拍手が沸き起こりました。
僕も慌てて手を叩き始めました。
それは10分くらい続いたかと思われます。しかし、聖子さんはなかなか戻ってきませんでした。
「もうコンサートは終わった」と思った人も結構いたようで、この10分の間に比較的まとまった数の人々が会場を出ていきました。
僕は諦めきれず、「ここで終わるはずはない! いや、まだ終わらないで~!!」と半ば悲痛な思いで会場内の人々と一緒に手を叩いていました。
届け~、この思い!!
突然の嵐
聖子さんが消えて10分ほど経ってから、真っ暗なステージの上で数人の人間がこそこそと動く気配がしました。
「もしかしてこれは。。。」
ピカッ!
ライトがまぶしいくらいに照らされ、聖子さんが再び登場!!
「~~~~~~~!」と、声にならないどよめきが会場内で起こりました(コロナのため声出しは禁止)。
このご時世(この言葉、1度使ってみたかったんです)、コンサートで喜びや感動を表現したいなら、思いきり手を叩くしかありません。
実際、それからほどなくして拍手の嵐が巻き起こりました。
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聖子さんは、マイクを手に口を少し開きました。
演奏が流れ始める気配はなし。そのまま聖子さんが歌い出します。
このタイプ(前奏の前にセリフ的な歌唱が入る)の曲は、聖子さんの歌の中では数曲しかありません。
さらに、この場に最もふさわしく、最も盛り上がる曲と言えば・・・・
・・・そう、「squall」です!!
威勢のいい音楽に合わせて、聖子さんはノリノリで歌っていました。
背後のスクリーンでは、宇宙空間のような画面内を、無数の光の矢が走っていました。
じっと見つめていると引き込まれてしまいそうな、神秘的でエネルギッシュな映像でした。
この曲は、僕が高校3年生の夏ごろ、干潟に自転車で毎日のように行っていたときに、決まって脳内で流れていた曲でした。
高校生の頃の僕は、気が滅入ってくるとすぐ自転車に飛び乗って遠くまで出かけていました。
いや、それは今でも変わらないかもしれません。。。
今年の6月の初め、慣れないシェアハウス生活でストレスをため込んだ僕は、7時間以上かけて山を越え、自転車で糸島から実家のある佐賀まで帰ってしまったのです(笑)
僕の人生は自転車とともにある、と言っても過言ではないかもしれません。
ラストソング
「squall」で盛り上がった後、聖子さんは「さよならの瞬間」という歌を歌い出しました。
「なんか、そろそろ本当に終わっちゃいそう。。。」と僕は思いました。
過去のコンサート映像を見ても、この「さよならの瞬間」はコンサートの締めの歌として使われたことがあるようなので、「これは要注意だぞ」と警戒しました(笑)
幸い、この歌で終わり、ということにはならなかったのですが、その後記念曲の「40th party」と「20th party」を歌っていよいよコンサートは終幕。
ちなみに「40th party」は、40周年を記念して聖子さんの持ち歌のタイトルをつないで歌にしたものです。作詞作曲は聖子さん。
この歌は、新しいので残念ながら引用できそうな動画がありませんでした。。。
「20th party」は、20周年の時に作られた歌で聖子さんの50枚目のシングルだそうです。これも聖子さんの持ち歌に関するフレーズが歌詞にふんだんに使われています。
「ああ、ついにコンサートは終わりの時を迎えてしまった」
そう思っていると、聖子さんが
「みんなー! 今日は本当にありがとう~! 楽しかったよー、またねー!」
聖子さんはステージ上を左右に行ったり来たりして、たくさんの人に手を振っていました。
僕たちも、聖子さんが自分たちの方に手を振るたびに大きく手を振り返しました。
・・・ああ、とうとうコンサートが終わってしまいました。。。
さすがの聖子さんも、最後の方は歌唱の途中で息継ぎの声がマイク越しに聞こえてきました。
それが「年を取る」ということなのだとわかってはいても、やっぱり何か悲しいような、寂しいような気持になってしまいました。
もしもこの世に永遠の命というものがあるのなら、それは「いつまでも若さを保つ命」なのか、それとも「老いて五臓六腑みな衰え、生きているのかもわからない状態で生き続ける命」なのかといったこともふと考えてしまいました。
もし実在するのであれば前者の方がいい、と僕は思いました。
そして、その命はぜひ聖子さんに与えてほしい、とも思いました。
願わくば、僕もその命を分けてもらいたいです(笑)
だけど、考えてみると五臓六腑が永遠に衰えないのは生物学的にあり得ない気がするし、実現できるのは老衰を遅らせるくらいなんじゃないかなーと思いました。
ちょっと話がそれてしまいましたが。
見た目や声色でいえば、聖子さんは実年齢(59歳)よりも断然若い! と思います。
録画禁止だったために当日の動画がないのが残念ですが。。。
遠目で見たところ、普通に40代くらいに見えました。
いよいよ終演
やがて聖子さんが退場し、ステージが真っ暗になりました。
それとは対照的に、観客席の照明がついて辺りがぱっと明るくなりました。
僕たちは、夢の世界から現実に引き戻されたような顔でしばらく恍惚としていました。
が、退場の際に混雑が発生することを予想したのか、約1分後には多くの人々が我先にと争って席を立ち、会場を去っていきました。
(ほぼ同じタイミングで「混雑防止のために係員が順番に誘導しますのでそのままお待ちください」というアナウンスが流れていました(笑))
チケットの取引相手だった隣席のKさんともここで別れ、僕は溢れかえる人波のなか自転車に乗ってマリンメッセ福岡を後にしました。
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ここからは番外編という感じになります。。。
帰りが遅くなることを考えて、「Hafh」(定額の宿泊サービス)を使って「エトワス天神」というホテルを予約していたので、とりあえずそこへ向かうことにしました。
19時過ぎにホテルにチェックインし、夕食はセルフだったので外出してお店を探すことにしました。
すぐ目の前に飲食店(すでに蔓延防止措置は解除されていました)がたくさんありそうな通りがあったので入ってみると、
そこは「親不孝通り」という名前のついた商店街でした。
親不孝通り
その通りには、目つきの悪い人や髪型や服装が見るからにアウトローな感じのヤバそうな人がうじゃうじゃいました。
飛び交う言葉もかなり荒々しいものでした。
床に座ってこちらをじろじろ見ている集団もいます。
僕は怖くなりましたが、ここでおどおどしていると絡まれてしまうかもしれません。
この通りにいる人々は普通、2人以上で行動していました。なので、もし争いになった場合1人で歩いている僕は不利でした。
僕は通りにいる人々と目を合わせないように、ひたすら上を向いて歩き続けました。(逆にあやしい)
前後左右、そして下にも危ない人たちがいたので、上しか逃げ場がなかったのです。。。
時刻は19時半ごろ。約1時間前までマリンメッセで行われていた聖子さんのコンサートが、まるで遠い昔のことのように感じられました。
それにしても、たった一時間でこうも環境が変わるものでしょうか。
僕はただ、すさまじい場面展開に茫然と立ち尽くしていました。
「やっぱりステーキ」
近くに「やっぱりステーキ」というお店があったので、僕は逃げるようにしてそこに入りました。
このお店は食券制で、僕が注文したのは牛肉150グラムと、ライス・スープ・サラダ(3つともおかわりし放題)のセットでした。
ライスは白米と黒米の二種類がありました。僕はそれぞれ2杯ずつ食べた気がします。。。(だいぶお腹が空いていた)
たれは机の上に20種類近く置いてあり、どれも好きなだけ使うことができました。それらのなかでは、僕はニンニク入りのたれが一番好みでした。
お値段は、これで1000円。安い! と思わず叫びそうになりました。
お肉もお米も、中々に美味しかったです。
ただ少し、いやかなり気になったのは、隣の席の人がずっとこちらをガン見していたこと。
ほぼにらまれている感じでした。
「いったい何なんだよ!」と言いたかったですが、こんな危ない街でこういう人と関わり合いになると面倒なので、黙っていました。
でも、ただにらまれているだけというのも腹立たしかったので、僕もその人の方をチラチラ見ながら食べました。(ガン見はしてません、たぶん)
米を4杯食べ、肉をすべて食べ終わると厄介事に巻き込まれる前にさっさと店を出ました。
外に出るとまたもや「親不孝通り」。
通り沿いにあるバーはテラスみたいになっていて、すぐ見えるところでちょっと悪そうなお兄さんやお姉さんがお酒を飲んでいました(繰り返しますが、蔓延防止はすでに解除されていました)。
カラオケも営業再開しており、「うお~~~~~」とか「いえ~~~~~い」といった叫び声が外まで聞こえていました。
21時前にやっとの思いでホテルにつくと、「ふぅ~、生きてた。」とつぶやき、自分の部屋に入ってドアを厳重に2重ロックすると、ベッドに横たわりました。
そして「そうだ、忘れる前に」とコンサートの様子を大まかに紙に書き留めると、お風呂に入って眠りにつきました。
・・・長い長い旅をしてきたようで、実はここまでの全7話のストーリーは、すべて同じ日の、それもたった6時間ほどの間で起きた出来事なのでした。。。
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長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました!
これをきっかけに、「永遠のアイドル」松田聖子を好きになっていただけたら幸いです。
(おわり)