256. 不動滝

「糸島探検記」シリーズvol.1

あれは2023年8月初旬の、暑い日のことだった。

気温は35度を超え、自転車を漕いでいるだけで汗が噴き出す、そんな日だ。

おぬまはこの日、「不動滝(ふどうのたき)」という滝へ行くことに決めていた。

「滝の周りは涼しいだろうし、エアコンのない部屋でじっとしているよりマシだろう」

そう思い、自転車に飛び乗って元気よく出かけたのだ。

まずは藤坂橋へ

不動滝へ行く途中には「藤坂橋(ふじさかばし)」というバス停がある。

まずは、ここを目指して進むことになった。

ところがこの藤坂橋に着くまでの道が、ひどく暑かった。日光を遮る木もそこまで多くないので、灼熱の光を直に浴びるしかないのだ。

藤坂橋に着いた頃には、カバンを背負った背中が汗だくになっていた。

上の写真が、藤坂橋のバス停。ジブリ映画の「となりのトトロ」に出てきそうな、レトロなデザインのかわいいバス停だ。

屋根もあるので、雨が降っても大丈夫だろう。

この藤坂橋のそばには、不動滝につながる道がある。それは車が通る広い道ではなく狭い道の方なので、間違えないように。

まあ、近くの看板の指示通りに進めば、間違えることは少ないと思う。

森の中へ

暑い。身体が焦げそうな暑さだ。

もうすぐ森の中に入れるはずなので、そのことだけを力に、なんとか進んでいた。

ちなみに、ここまでは自転車に乗って来ていたのだが、この先は道が少し険しいので、自転車を押して歩くことになる。

森に入った。

マイナスイオンが心地よい。

あたりは静寂に包まれていて、時折鳥の声や、風にそよぐ木の葉の音がするだけだ。

それから、自分の足音も。

行く手に小さな橋があった。一部壊れかけているところがあり、踏むと「バキバキ」と鳴った。渡る際には注意が必要だ。

雄叫び

道はどんどん草深くなっていく。

周囲に人の気配はなく、はじめはそれが快くもあったのだが、

次第に「今この場所で、生きている人間は自分以外に誰もいないんだよな」という軽い恐怖に変わってきた。

もしも今、クマに襲われたら・・・、イノシシと遭遇したら・・・霊的存在に取り憑かれたら・・・。

いずれの場合も、誰かの助けを期待することはできそうにない状況だった。

頼むはこの身ただ一つ。そう言えば聞こえがいいが、それは孤独という意味でもあった。

人の中に住んでいれば、どこかで孤独を感じることもある。しかし、本当の孤独を感じることは少ない。

今この瞬間に感じているものこそが、その数少ない「本物の孤独」だった。

そういうとき、あなたはどうするだろうか。

私は、叫んだ。腹の底から、力のかぎりに、叫び続けた。

「ウオオオオーーー!」「ウラーーーー!」

雄叫びというべきだろうか。高校生の頃「炎嵐(ファイアーストーム)」で覚えた「旅順高寮歌」なども歌った。

野生の動物は、音を立てていれば避けて行くらしい。だから、こういうときは黙り込むより、音を出し続けていた方がいい。

近くに人間が一人もいないと確信していたからこそ、この奇行は実現できた。

もしどこかで、誰かが見ていたら・・・。野生の動物や霊的存在よりもむしろ、私の方が怖く見えたかもしれない。

これを渡るのか・・・?

叫びながら歩いていると、こんなところに辿り着いた。

滝は向こう岸にあるようだが・・・。まさか、この丸太を渡れというのか?

別の方向から見ると、けっこうな高さがある。落ちたら大怪我では済まないかもしれない。

結局どうしたのかと言うと、「これは自分だけの力では無理だ」と悟ったので、大声で「神よ、鳥よ、虫よ!そして森よ、石よ、みんな力を貸してくれぇーーー!!」と叫んだ。

そして「うおおおお!うおおおお!」と叫びながら、丸太にしがみつき、無我夢中で渡り、気がついたら向こう岸にいた。

向こう岸に渡ってからも、困難は続いた。足場が悪く、あちこちに蜘蛛の巣が張っているので全身にそれらを巻きつけながら、ひどい有り様で進み続けた。

ふと耳をすませば、滝の音が聞こえる。もう不動滝はすぐそこのようだ。

不動滝

やがて、「不動瀧」と金文字が彫られた石碑に出会った。

石碑の下部に「野村望東尼」と書かれているのが気になったが、まずは滝へ急ぐことに。

ベンチもあったが、今は座っている場合ではない。足早に通り過ぎた。

そしてついに、滝へ。

すさまじい音を立てながら水が落ちて行く。毎度のことだが、滝の周りには何か特別なオーラが漂っているように感じる。

滝の前でも、雄叫びを上げた。これは、目指していた場所に辿り着いたという「勝利宣言」のようなものであったのだろうか。

水の流れは速い。

振り向くと、糸島の街がはるか遠くに見えた。

そうそう、「野村望東尼」のことだが、こういう話を思い出した。

幕末の志士・高杉晋作が亡くなるときに「おもしろき 事もなき世を おもしろく」と辞世を詠んで先を続けられなくなった。

そのとき、そばで看病していた野村望東尼が「住みなすものは 心なりけり」と続けた、という話だ。

司馬遼太郎の「世に棲む日々」という本に書かれていた。

その、野村望東尼の名前がこの不動滝の石碑に刻まれていたのは、なぜか。

それは、下の石碑を見たらわかった。

幕末、この不動滝に勤皇志士たちが集まり、時勢を論じていたというのだ。

野村望東尼は福岡出身の勤皇家だったから、おそらく勤皇志士たちのために密会場所として不動滝を提供したのだろう。

幕末はまさに「激動の時代」だった。しかし、今のこの時代もまた激動の時代ではないだろうか。

時の流れは速い。

移ろいゆく世界の中で、自分はいったい、何を成すのだろうか。

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