240. 「千寿院」にて

老人現る

たぶん話し忘れていたと思うが、そういえば以前こんなことがあった。

「千寿院の滝」を訪れたとき、滝の入り口の寺の付近から見える、海と山を眺めていたときのことだ。

その美しくもどこか哀しい景色を呆然と見ていたとき、「バタン」と車のドアを閉める音がして、寺の住職さんと思しき老人が静かに近づいてきたのである。

勝手に寺の敷地に入っていたので、「怒られるのかな」と思いつつ軽く頭を下げると、老人はしばらく無言でこちらを見つめていた。

奇妙な問いかけ

このときの自分の恰好はというと、緑のアロハに赤の長ズボン。まだ5月初旬だったし山の中でもあったので、この服装は少し奇妙だった。

やがて老人はおもむろに口を開き「あんた、どこから来たね? 山の上から来なさった?」

その問いかけに少し困惑しながらも、「いや、下から来ました。チャリで」と正直に答えた。上は確か、土砂崩れで封鎖されていたような・・・。

老人は「ああ、なるほどね。いやあ山の上は土砂崩れで塞がれているから・・・・・・」何か小声で続けていたが、よく聞き取れなかった。

「そうですねー、はい」と少し笑いながら適当に流していると、老人は「ちなみに、ここまでどのくらいかかった?」

「うーん、どれくらい・・・? 時計を見てなかったので正確にはわからないですが、1時間半くらいですかね?」と答えると、

老人はのけぞり、「それは・・・・・・」と驚いた様子。

しばらく置いたあとで「・・・ふつうの人より・・・早い、ねえ」

「やっぱり若いからかねえ。じゃあ気をつけてね」と少し安心したのか、老人は車に戻っていった。

その後に着いていくように歩き、止めていた自転車のカギを外しヘルメットをかぶっているとき、背後からもう一度声をかけられた。

「この辺はワカモンが車を飛ばすから、くれぐれも気をつけて」

危険な帰り道

おぬまは老人の言葉にうなずいて自転車に乗り込み、走り出した。

山の下り道を走る自転車は、思ったよりスピードが出る。ブレーキを強くかけてもタイヤが回り続け、常に20~30キロ出ていた。

ブレーキのかけすぎで摩耗しないか心配だったが、ブレーキを離すとあっという間に50キロくらい出るので、握りしめているしかなかった。

(帰ったあとでサイクルコンピュータの記録を見ると、最高速度は67キロ。いつの間にそんな速度を出したのか、まったく記憶がないが)

下り坂で、カーブが多く、狭い道だったので、「今ここで車に出会ったら終わるかもなー」と思いながら走っていた。

気をつけて走ったおかげか、麓まで1台も車と出会わなかった。

消えた車の謎

帰り道に1台の車とも出会わなかった、というのは、何とも奇妙な話である。

もちろんただの偶然かもしれない。

しかしここで思い出すのが、麓から千寿院の滝に行く道でのことだ。

自分の記憶だと、山を上っていく途中で確実に10台以上の車に追い抜かれた。

しかし、山を下っていく車は3台くらいしか通らなかった。

「たぶん千寿院の滝でゆっくりしているのだろう」と思いながら進んだが、千寿院の滝の駐車場には・・・

・・・なんと1台の車も停まっていなかったのだ。

付近の寺に停まっていた車は2台あったが、どちらも山を上るときに自分を追い抜いた車とは見た目が違っていたし、そのうちの1台は例の老人の車だった。

滝の横を通り抜けて、奥に行く道は土砂崩れにより封鎖中。実際に近くまで行ってみたが、車が通れる状態ではなかったと思う。

それでは7台(あるいはそれ以上)の車たちは、いったいどこへ行ったのか?

解けた謎と、未解決の問題

寺の住職と思しき老人から「あんた山の上から来なさった?」と聞かれたのは、自分があの世の人間に見えたからなのではないか、と今では思う。

服装が季節外れだったのもあるが、あのとき昼食も取らず、水もあまり飲まずかなりギリギリの状態だった。

疲れていただけではなく、「千寿院の滝」それから「唐原」(千寿院の滝の近くの集落)という歴史的な土地を前にして、悠久の時間の流れの中に思いを馳せていたこともあって、遠い目をしていたに違いない。

季節外れの服装で、少しやつれていて、遠い目をしている人間がいたら、たしかに幽霊だと自分でも思うはずだ。

そういうわけで、老人の奇妙な質問の件については笑い話で済ませられる。

・・・と、思う。

しかし消えた車や、滝訪問後に四度起きた怪奇現象(詳しくは「236.三度目の怪奇現象」「239.四度目の怪奇現象」)、こういった件についてはまだまだ不可解な点が多い。

今日までの時点で、深江と加布里には行ってみた。そこでも色々な冒険があったのだが、それはまたいずれお話しすることにしよう。

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