何かを継続すること。
このことの重要性については、よくわかっているつもりだ。
数学、筋トレ、踊り、漢字、ラテン語・・・などの分野において、これまで何かを継続することで得たものは大きい。
継続をやめれば退化する
しかしここで、「書く」ということを継続できているか、と自分に問えば、首を傾げざるを得ない。
色々と手を広げすぎたというのもあるかもしれないが、かつて筋トレも踊りも漢字もラテン語もしていなかった頃は、毎日のように文章を書いていた。
それはブログやSNSに書き込んだり、紙に書いたり、学生ライターとして記事を書いたりと形式はさまざまであったが、とにかく継続して書いていたように思う。
その一方で、今はめっきり文章を書くことが減ってしまった。
前述したように、他のことに時間を使っているせいもあるだろう。
しかし、継続することが何かを成長させるのだとしたら、継続をやめることは成長のストップ、さらには退化を意味する。
実際、最近久しぶりにブログを書くようになったが、以前に比べて言葉が出てこないと感じることが多い。
自分にとって文章は「伝統」
自分は幼い頃から、常に文章を読み、書いてきた。
振り返ってみると、文章に携わるようになってから14年ほどが経過している。
14年と言うと、自分の年齢からみれば7割ほどの年月に相当する。
自分を国に置き換えると、それは十分「伝統文化」と呼べるのではないだろうか。
そうであるからこそ、これからも書くことを継続して、せっかく培ってきた自分の中の「伝統」の灯を絶やさないようにしていきたい。
文章には力がある
自分は「書く」ことで、頭の中にあるモヤモヤとした考えを形にしたり、新しいアイデアを生み出したりすることが多い。
最近、精神世界に傾倒しかかっている部分もあるが、文章を書くことで精神面での思考の整理や魂の成長を促すこともできるかもしれない。
文章には、自分が想像しているよりもはるかに大きな「力」がある。
そのことを念頭に置き、今後はどんな些細なことでもいいから、毎日あるいは数日おきに、このブログで文章を書いていこうと思う。
なお、文体はそのときの気分によって変えることがある。