162.「新・平家物語」登場人物まとめ(1巻①)

こんにちは! おぬまです。

僕は歴史小説が好きで、先月から吉川英治の「新・平家物語」を読んでいます。

この作品は全部で20巻まであり、読み終わるまでにかなり時間がかかります。

それだけに、読み終わるころには作品の世界への感情移入が凄まじくなっています(笑)

巻数が多いということは、登場人物もそれだけ多いということになります。

何しろ平清盛が20歳の頃の話から始まり、物語の最後では清盛の三男の宗盛が30代後半なので、時間にして40年分くらいの話がこの20巻には込められているのです。

中学生の頃から数えて、この作品を読むのはたぶん10回目くらいの僕ですら、たまに「あれ、この人だれだっけ」となることがあります。

「〇盛」が多すぎて・・・(笑)それに平家だけでなく、源氏や公家も多数出てくるので、時間を空けて読むと、もはや誰が誰だかわからなくなります。

この「登場人物まとめ」は、「物語は読みたいのに、登場人物が多すぎて頭に入ってこないよ~」という方のために作りました。

物語を読み進めていく中で、「あれ? これ誰だっけ」となったら、またここに戻ってきてくださいね(^^)/

今回は「新・平家物語」1巻の登場人物についてまとめていきます。※ほんの一瞬しか出てこない人物の紹介は省くことがあります。

1巻は「ちげぐさの巻」と「九重の巻」で構成されています。

ちげぐさの巻

人物紹介の前に、当時の時代背景を簡単に説明したいと思います。

「新・平家物語」の舞台は平安時代末期の日本。物語の冒頭で平清盛が20歳くらいなので、1138年ごろと推定されます。

当時、朝廷とは別に「院」というものがあり、天皇と上皇がいました。それぞれの周りに公家たちが集まり、朝廷と院はしばしば対立。

特に、院政を始めた白河帝と鳥羽帝、鳥羽帝と崇徳帝はそれぞれ女性や後継者を巡って険悪な関係になっていました。

この状況がのちに保元・平治の乱を引き起こすことになります。

平家(伊勢平氏)

平清盛・・・平太とも呼ばれる。平忠盛の嫡男だが、実の父は白河院とも八坂の悪僧覚然ともいわれている。家が貧乏で、よく「クサ市」という泥棒市に遊びに行っている。母の祇園女御を憎み、父の忠盛を慕っている。どこか抜けたところがあるが仲間思いなので、同僚たちからは支持されている。

平忠盛・・・清盛や経盛の父。スガ目殿というあだ名がある。20年もの間貧乏と妻の愚痴に耐えて生きてきたが、妻の祇園女御が家を出ていったあとは心を入れ替え、仕事に励むようになった。

平経盛・・・清盛の弟。真面目な勉強家。下の弟たちの面倒をよく見ている。

祇園女御・・・清盛や経盛の母。泰子。白河院の寵姫だったが、平忠盛の妻となった。しかし長年の貧乏生活に不満を抱き、清盛が20歳の頃に家を出ていく。

木工助家貞・・・平家に忠実な郎党で、どんなに貧乏でも武家の家訓を守り、主従の礼を崩したことがない。清盛からは「じじ」と呼ばれている。平忠盛・清盛の2代に仕えた。平家貞。

平忠正・・・清盛の叔父。親に頼まれてお金を借りに来る清盛を厄介者だと思っており、事毎に嫌味を言う。

清盛の同僚など

遠藤盛遠・・・清盛より1歳年上で、勧学院(今の大学のようなもの)の同窓。人妻の袈裟御前に恋をするが、誤って殺してしまい、出家。出家後は文覚と名乗る。

袈裟御前・・・美しいと評判の女性。遠藤盛遠に言い寄られ、夫の代わりに盛遠の手にかかって殺される。

源渡・・・袈裟御前の夫。

佐藤義清・・・突然出家し、西行と名乗る。別れ際に袂にすがってきた4歳の娘を、縁から庭先へ突き落して、走り去った。

源五兵衛・・・義清の郎党。羅生門で検非違使の源氏武者と喧嘩を起こして拉致される。のちに助かるが、義清の後を追って出家する。

清盛の妻とその家族

平時子・・・清盛の妻。

平時忠・・・時子の弟。道端で鶏合わせ(闘鶏)をやっているところに清盛が通りかかって出会った。のちに「平関白」と呼ばれ、都の治安維持に辣腕を振るった。

平時信・・・時子や時忠の父。

平滋子・・・時子の妹。のちに入内して建春門院と呼ばれた。

皇室の人々

白河帝・・・物語開始時点ですでに故人。子の鳥羽帝の皇后に手を出したり、60歳を過ぎてから祇園女御を寵愛したりとやりたい放題。清盛の実父説がある。

鳥羽帝・・・白河帝の御子。皇后の待賢門院に父が手を出していたので、待賢門院から生まれた崇徳帝は「自分の子ではない」と言い続けた。美福門院を寵愛している。

崇徳帝・・・鳥羽帝の御子。父から疎んじられ、不満を持っている。重仁という子がいる。

待賢門院・・・鳥羽帝の后で、崇徳帝の母。

美福門院・・・鳥羽帝の寵姫。体仁(のちの近衛帝)を産む。

源氏

源為義・・・検非違使尉。六条判官とも呼ばれる。

源義朝・・・為義の嫡男。

そのほかの人々

覚然・・・八坂の悪僧。清盛の実父説がある。

鳥羽僧正・・・覚猷ともいう。鳥羽殿(鳥羽帝の離宮)にも伺候したことがある人物。鳥羽絵という戯画で有名。

瑠璃子・・・中御門家の当主家成の姪。平忠盛のもとを去ってやって来た祇園女御(泰子)になつく。

中御門家成・・・突然忠盛と離縁して押しかけてきた祇園女御を苦々しく思っている。せめて、姪の瑠璃子に悪い影響を与えることだけはやめてほしいと願っている。

有子・・・かつて鳥羽院の局にいた女房のひとりで、平忠盛の後妻。

「ちげぐさの巻」を読んで

「ちげぐさ」とは、漢字で「地下草」と書きます。

平太清盛が20歳くらいの頃は、まだ公家の力が強く、武士は半ば犬猫のような扱いを受けていました。

そんな中、清盛の父忠盛は、白河・鳥羽帝の2代にわたって厚い信頼を受け、武士としては異例の出世を遂げます。

そんな忠盛を妬んだ公家たちから様々な嫌がらせを受けますが、忠盛や清盛は負けませんでした。

不当な扱いに憤慨した平家の家人たちは、酒席で不満をぶちまけます。

「まだ、わいら、観念がたらないぞ。ああ、地下草。よろこぶべし、芽こそまだ見ね、地下草なのだ。おれたちはナ。・・・・・・な。」

そういって家人たちをなだめた清盛は、きっと「いつかは這い上がってやる」という野望に燃えていたことでしょう。

カテゴリー

コメントは締め切りました