123. 戦国奮闘日記(3)

~筒井家編~

われは筒井順政。甥の順慶が育つまでの間、筒井家の実権を握ることになった。

順慶は1549年生まれなので、今は数えで3歳くらいである。(戦国時代は数え年が普通であった)

一人前の武将になるのは、まだまだ先のことだろう。

軍議

兄上を偲んで、われも自らのことを「わし」と呼ぶことにしよう。

わしはある日、主だった部将(一部隊を率いる大将)を集めた。

まず慈明寺順国・福住順弘。この2人は名前からわかるように、わしの一族だ。

それから森好之・高田為国・高田為業。

高田姓の2人は、この間陥落した大和高田城を守っていた敵将たちである。が、降伏してわが配下になった。高田為国は60歳で、筒井家の部将の中で最も老巧の将だ。

そして先月臣従した十市遠勝。武勇に優れている。

筒井順政「今日集まってもらったのは、他でもない。筒井家の今後の方策を話し合うためである」
森好之「して、順政殿はいかようにお考えか」

筒井順政「うむ。われらの進む道は、3通りほどある。まず、北進して山城国に入る。だがこれは下策」
福住順弘「ほう、なぜですか」
筒井順政「なぜなら、山城国には宿敵の三好がいるからだ。いずれは彼らと戦うにしても、今はあちらの戦力が強大すぎる。それに、近江の佐々木六角家の動向も測りがたい」

高田為業「他の策は?」
筒井順政「うむ。東進して伊勢に出る。これは港と伊勢の商業地帯を押さえるためだが、尾張と三河で争っている織田・今川のどちらかが優勢になった場合、まず伊勢に入るだろう」
慈明寺順国「なるほど、なるほど」

筒井順政「そうなるとその勢力と衝突することになる。北の三好がいつ攻めてくるかわからない情勢で、伊勢で膠着状態に入るのはまずい。これが中策」

高田為国「上策は?」
筒井順政「西進することだ。先ごろから内乱が起こっている河内畠山家を攻め、そして和泉国に出る。堺町衆を傘下に収め、鉄砲の生産地を確保する」
十市遠勝「それはいい。鉄砲を自前で生産できるようになるということですな」
筒井順政「そういうこと」

高田為国「和泉国なら三好の勢力も近い。彼らに背を向けることなく勢力拡張できるわけだ」
筒井順政「うむ。いざとなればすぐに応戦できる。それに和泉国で鉄砲の生産ができるようになるのが大きい」

こうして、我らの進む道は西と決まった。

まずは、東や北から敵に攻め込まれないよう手配する必要がある。

山城国から大和国に入る途中にある、奈良を有している興福寺。この勢力は三好家とも筒井家とも不戦同盟を結んでいる。いわば、中立状態にあった。

北からの攻撃は当分心配しなくていい。興福寺と不戦同盟を結んでいない佐々木六角家が攻め込んできたら話は別だが。今は近江で浅井家と覇を争っているようだ。

そして東。伊勢北畠家と不戦同盟を結んでしまえば、問題はない。

河内国侵攻

河内国に諜者を放ってみると、畠山本軍は摂津にある三好家の城を攻めている模様だった。

大和国から少し離れている。こちらが攻めてくるなど微塵も思っていないようだ。

今が好機。兵力を整えて河内国に侵攻した。

最初の城は、高屋城。ここを占領すれば、河内畠山家の領地は南北に分断される。南方の城は兵がいないので、獲り放題だ。

意外な事態

ところが、計算が狂った。河内畠山家が攻めていた城が急に河内畠山家の同盟軍の所有に変わり(※条件イベントが発生した模様)

畠山軍はこちらに向かってきた。

相手は8000人、此方は8600人と人数ではわずかに上回っていたが、

河内畠山軍は鉄砲を使ってきた。鉄砲を未だ持たないわれらの軍勢は苦戦したが、何とか際どいところで勝利した。

もう一押しされていたら、こちらが潰走するところであった。

その後、何度も河内畠山軍が反撃してくるので、一旦高屋城を奪うのをあきらめ、

福住順弘が攻めていた西紀伊の霜山城に全軍を向かわせた。

山道で難行軍だったが、見事制圧。西紀伊も鉄砲生産可能地域なので、これで自分たちで鉄砲が作れるようになった。

最初は1ヶ月で10丁しか作れないが、買うより断然コストを抑えられるし、いずれは生産量も増えていく。

兵力も増えてきたので、今度こそ高屋城を手に入れよう。

最初は敵の兵力を削るために波状攻撃を仕掛けた。敵の兵はみるみる減っていき、

戦意をなくしたのか、こちらが堂々と城を攻めているのを見ても反撃してこなくなった。

高屋城攻めと同時進行で、和泉国の根岸衆という、小さいながらも強力な勢力とも手を結んだ。

ところで、再三の要請にもかかわらず越智家はいまだに従属しない。

高屋城を攻め落としたら、驚いて従属を受け入れるだろうか。それとも、何か別の理由があるのか。(越智城を取られたという恨みを除いて)

おぬまのつぶやき

~ここで、ちょっとおぬまのつぶやき。

かつて故・筒井順昭さんは「この順慶が松永久秀に筒井城を奪われるような苦しみを味わわないで済むように」と勢力拡大を開始しました。

しかし今、子を思った勢力拡張が「越智家から越智城を奪う」という事態を引き起こしました。

越智家から見れば、その居城を奪われたのは大きな苦しみのはずです。

戦国時代において勢力を大きくすれば、他家から侮られることはないかもしれませんが、拡張する過程で誰かを苦しめることになり、

こういう環境下で「みんなが笑顔になる」国を作るのは、難しいのではないかと思いました。

でも考えてみると、こうやって一つの国がバラバラに分かれていることの方が、民衆にとっては苦しいのでは・・・

・・・いや、逆に統一された方が税金とかが高くなって住みにくいのかな・・・うーん、難しいですね。

時代が変われば価値観も変わっていくものですが、

戦国時代に限らず、いつの時代も「正解は一つではない」ということだけは変わらないようです。

もし正解が一つなら、そもそも争いなんて起きようがないかもしれませんね。

筒井家が今後、民を思う政治を敷いていくのか。それとも、自家の繁栄だけを求めていくのか。

それは、今のところ筒井順政さんにかかっています。~

内省

筒井順政だ。

高屋城を攻めているときに気づいたことだが、河内畠山家の領民は、大半が河内畠山家の政治をたたえ、支持している。

支持率を調べてみたところ、70%近い。

一方で筒井家の領民は50%ちょっとだった。

敵と味方で、民衆の支持率がこうも違うとは。これは考え方を改めないといけないな、と思った。

土地を勢力の基盤とする以上、領民の支持は最優先で高めておかなければならないことだった。

これからは、年貢の徴集量を減らしたり、徴兵する回数をできるだけ減らすことにしよう。そのためには、戦うにしてもなるべく少ない犠牲で勝利を収める必要がある。

越智家を攻めていたころは、わしもそのことがわかっていたのだが、どうも「鉄砲生産地の獲得」という目標に躍起になって大事なことを忘れかけていたようだ。

人間は、しばしば大事なものを見失ってしまう。特に成功したり、歳を重ねていくとその傾向が強くなるようだ。

戦国の世では、自惚れや自信過剰は滅亡を招く。

たまにはそのことを思い出し、自分を戒めるようにしたい。

(つづく)

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