114. ひとよの夢

ある晩、おぬまは夢を見た。

多年憧れてきた女性・松田聖子と同じ時代を生きている、という夢だ。

彼女は1962年生まれ。おぬまは、夢の中では1964年生まれということになっていた。つまり、おぬまは松田聖子の2歳年下ということになる。

寝ているときに見る夢というものは不思議なもので、どこか論理の飛躍があっても、あまり気にならない。

それは、現実で見る夢も同様かもしれない。現実で見る夢とは目標のようなものだが、これは細々としたものよりも途方もなく大きいものの方がいいらしい。

夢を見る時には、現実的なことは考えなくていいのだ。

かくして、夢の中のおぬまはいつの間にか松田聖子と知り合い、月に1回か2回会う仲となっていた。

年が近いとはいえ、やはり年上であることに変わりはないので「聖子さん」と呼んでいた。

聖子さんは多忙で、共演でもしない限り毎週会うことなどできない。まして、毎日会うことなどほとんど不可能に近かった。

ところで、夢の中を生きている1964年生まれのおぬまは、何をして暮らしているのだろう。少し現実的な事柄になってしまうが、どんな職業に就いているかはやはり気になるものだ。

しかしやはり夢は夢で、知りたいことを全部教えてはくれなかった。おぬまが何で生計を立てているのか、まるでわからなかったのだ。

それにしても夢の飛躍というものはすごい。おぬまが家事をしているシーンなど一度も出てこない。ありふれていて、このストーリーを構成している見知らぬ人物にとってどうでもよかったのだろう。

たしかに最近の1日1日を振り返っても、自分がいつ洗濯をしたか、いつ買い物に行ったかなどはあまり記憶に残っていない。

そのくせ、友人と遊んだときのことやバイトで出会ったお客さんのことなどはよく覚えている。もっとも、ここ1週間は体調を崩してバイトには行っていないが。

話がそれた。さて、1964年生まれのおぬまが何をして生きているかはわからなかった。

ところで、おぬまと聖子さんが月に数回出会っている、この「いま」はいつなのだろう。聖子さんの見た目から、おそらく1983年くらいだろうと見当をつけてみた。

聖子さんは21歳。おぬまは、19歳。あれれ、2021年のいまと同じではないか。

夢は妙なところで現実に忠実なようだ。

おぬまは、聖子さんが好きだ。聖子さんに会うだけで胸がときめき、鼓動は早くなる。

夢は少しずつ動いていき、やがておぬまと聖子さんがベンチに座っているのが見えた。冬の夜。白い息が、目に見えるほどの寒さ。

聖子さんは厚手の上着を着ているが、おぬまはなぜか薄着だった。まるで、春の野原を歩いているみたいな恰好で、ベンチに座っていた。

「さむくないの?」聖子さんが、微笑みながら尋ねる。
「は・・い・・・」

どっちなのか。自分でももどかしい。だが、このベンチに座っているおぬまは寒くても、夢を見ている2021年のおぬまは暖かい毛布にくるまっているから、寒いはずなどない。

雪が降りはじめた。遠くで鐘の音が鳴っている。ここはどこだろう。日本なのか。

おぬまはただ、聖子さんと見つめ合っていた。彼女は、ふと微笑んだ。

そのときふいに、おぬまの体の中に力がみなぎってきた。

おぬまは勇気を振り絞って口を開いた。「聖子さん、僕はあなたのことを・・・」

その先を言おうとした瞬間、聖子さんもベンチも雪も、鐘の音もすべて消え去り、

おぬまだけが取り残された。

「あれ・・・」

この声は、2021年の世界に出た。

おぬまは目を覚ました。暖かい布団と見慣れた部屋が、そこにあった。

あれは一夜の夢だったのか、それとも・・・

窓から外の景色を見ると、みごとな朝焼けが、空を真っ赤に染めていた。

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