110. 万物は流転する

最近、ジブリのメドレーを聴くのにハマっています。

この「ジブリブーム」、実は高校2年生のときにも来ていました。

ジブリの「魔女の宅急便」のサウンドトラックは中学生の頃に手に入れ、さらに「ジブリ主題歌集」のような2枚組のCDも家にありました。

高校生になると「風の谷のナウシカ」と「紅の豚」のサウンドトラックも購入。

高校1年生から2年生に上がる春には、昼間はサウンドトラックなどをかけて過ごし、

夜寝る時にはYou Tubeで「おやすみジブリ」という7時間くらいあるオルゴールメドレーをかけて眠るのが習慣になっていました。

かけっぱなしで寝るので、朝起きたらスマホの充電は2%とかになっていました(笑)

第一次ジブリブームの崩壊

この「第一次ジブリブーム」は、およそ5ヶ月続きました。

お母さんが西洋占星術の占いをやっているのですが、そのころ「夏ごろに大きな変化がある」と言われていました。

そして、高校2年生の8月。

僕はカラオケで友達が歌っていた「中森明菜」に興味を持ちました。

そこで、You Tubeで動画がないか調べてみることに。しかし、そのときなぜか、まるで何か怖いものを見るかのように心臓が高鳴っていました。

乏しすぎる昭和のイメージ

ところで、そのころの僕が知っていた「昭和の歌」と言えば・・・

高校1年生の頃に知ったレベッカの「フレンズ」、レピッシュというバンドの「パヤパヤ」という歌(パヤパヤは2ヶ月くらい聴きまくり、カラオケでもこの曲で踊りまくりました)。

そして中学生の時に部活の先輩が送別会で熱唱していた「赤いスイートピー」と、車で聴いた「SWEET MEMORIES」。

それと、僕が小学生の頃たまにお母さんが口ずさんでいたチェッカーズの「ギザギザハートの子守歌」。これは、サビしか知りませんでした。

僕は歴史が好きなので、昭和初期の事件などは小学生の頃から色々と細かく知っていたのですが、(小3のときに自由研究で満州事変を調べました笑)

昭和後期となると、どんな時代なのかほとんど想像もつきませんでした。

とくに「1980年代」などは興味の対象外で、「スーツ姿の男の人と女の人が、ビルが立ち並ぶ街を歩いている」というのが唯一思い描けるイメージでした。

どうやら、1985年に制定された「男女雇用機会均等法」がイメージのもとになっているみたいです。

中森明菜から

このように「1980年代のことなどほとんど知らないし、興味もない」僕が、その後この時代の歌にどんどんのめりこんでいったのは、一体どういうことなのでしょう。

発端は中森明菜でした。

怖いもの見たさでクリックした中森明菜の「少女A」。これが意外といい感じで、「なんか気になる!」と思って関連動画をどんどん見ていきました。

気がつけば中森明菜の虜に。それだけでなく、他にも近藤真彦や西城秀樹、チェッカーズなどにもハマっていきました。

松田聖子へ

実は、当初は松田聖子と田原俊彦にはあまりいい印象を持っていませんでした。

先に中森明菜と近藤真彦にハマったせいかもしれません。同じ時代のアイドルなので、ついつい妙な偏見をもとに比べてしまうのでしょうね。

中森明菜や近藤真彦の歌ばかり聴いていたころの僕は、松田聖子や田原俊彦の歌を聴くことは「裏切り」だと思い込んでいました。

なので、You Tubeで関連動画で上がって来ても、いちいち「キャンセル」を押して見ないようにしていました。

気になるものを「道義的に問題がある」という理由で排除するのは、とても苦しいことでした。しかも、その正義は誤っていました。

抑え込んだ分だけ、僕の松田聖子と田原俊彦への興味はより一層強まっていったのかもしれません。

中森明菜メインで聴いていた時期は半年ほどで終わり、高校2年生の2月ごろに「初期松田聖子ブーム」が来ました。

その後3月になると「松田聖子全集」を借りて聴くようになり、

高校3年生の1年間は、主に松田聖子を聴きながら生きていきました。

しかし、前回松田聖子の曲を意識的に遠ざけ、中森明菜の曲ばかりを聴きすぎてむしろ中森明菜の曲をあまり聴かなくなったことを反省して、

今度はあくまで松田聖子をメインとしつつも、いろいろな歌手の歌を取り入れることにしました。

沢田研二、郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹、尾崎豊、美空ひばり、チェッカーズ、近藤真彦、少年隊、光GENJI、シャネルズ、山口百恵、河合奈保子、斉藤由貴、坂本九、橋幸夫、プリンセスプリンセスなど、

僕の「昭和ワールド」は飛躍的に広がりました。

田原俊彦ブーム

それから大学生になり、松田聖子のレコードをたくさん買いました。

松田聖子が主演の映画「プルメリアの伝説 天国のキッス」も2回見ました。

そして、念願のコンサートにも行きました。

ところが、80年代のシングルレコード、アルバムレコードをほぼ揃えてコンサート行きも実現したせいか、

あるいは、ここ1年半のあいだ聴きすぎたのか、

だんだん松田聖子から田原俊彦へと、ブームが移っていきました。

大学1年生の7月ごろ(松田聖子のコンサートに行った頃)は、松田聖子だけでなく米米CLUBやTUBEも聴いていました。

そして、8月の後半から本格的な田原俊彦ブームが到来。

田原俊彦主演の「教師びんびん物語」を実家で見て、9月末にはコンサートにも行き、そして79曲のシングルが全部入ったCDも購入。

強烈なトシちゃんブームは、2ヶ月ほど続きました。その間、僕は毎日歌って踊り続けました(笑)。

同時期に安全地帯・CHAGE and ASKA・布施明・尾崎紀世彦・TUBE・サザンオールスターズにもハマりました。

いまは少し落ち着いてきていますが、代わりに少年隊・浅香唯などにハマってきています。

そんな中、「あの」ジブリブームが再燃しました。

第二次ジブリブーム

かくして、2年半の歳月を経て「第二次ジブリブーム」が到来しつつあります。

・・・やっぱりジブリの曲は落ち着きますね~!

第一次ブームと第二次ブームの間で凄まじいパラダイムシフトがありましたが、ジブリの曲たちはそんなことはお構いなしにゆったりと流れていきます。

この2年半、未開だった「昭和歌謡曲」という広大なジャンルを開拓し続けて、少し疲れてきたのかもしれません。

次に来る新しい波のためにも、ここは一旦ジブリの世界に浸って存分に休息をとることにしましょう(^^)/

時代の象徴

ジブリブームが再来したことで、

かつて古代ギリシアの哲学者・ヘラクレイトスが言ったように「万物は流転する」のかもしれない、という思いが強まりました。

さて、僕がこの2年半で「昭和歌謡曲」そして「1980年代」という時代にハマりこんだことは、僕のこれからの人生にどんな影響を及ぼすのでしょう。

今は何もわかりません。しかし、非常に大きな変化であったことは間違いありません。

もはや、中森明菜や近藤真彦、松田聖子や田原俊彦を知る前の自分に戻ることはできないのです。

思えば、いろいろな歌手の歌にハマってきましたが、上の4人が自分の中でいちばん濃い存在でした。

もしも自分が歌を聴いたり口ずさんだりした回数がデータとして残っているとすれば、この4人の歌は断トツに多いと思います。

かつて「スーツ姿の男女がビルの街を歩いているような時代」としか想像していなかった無機質な昭和末期は、

今では「華やかでそれぞれに魅力がある歌手たちが、懸命に歌い踊っていた時代」という風に鮮やかな色がつけられました。

もちろん、歌手がすべてではありませんが、しかしいつの時代もその時代を代表する存在がいるように思います。

たとえば平安時代は藤原道長、紫式部、清少納言など。鎌倉時代前後は平清盛・源義経・源頼朝。

その後も足利尊氏・楠木正成・後醍醐天皇、足利義満、武田信玄・上杉謙信、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・・・という風に続いていきます。

もっと細かく10年単位で分ければ、それぞれに違った代表者たちが名を連ねることでしょう。

僕の中で空白の時代だった「1980年代」は、見事に4人のスターによって彩られたわけです。

時間旅行

生きていると、たくさんの楽しい思い出と少しの寂しさがどんどん積もっていくように感じます。

思い出を振り返るとき、一抹の寂しさを感じるのはなぜでしょう。

その瞬間が、二度と目の前に戻ってこないからでしょうか。

ただ、もし「万物は流転する」が真なのであれば、いつかは懐かしい「あのころ」が戻ってくることがあるかもしれません。

そういう意味で「万物は流転する」という言葉は、とてもロマンチックであるようにも思われます。

僕の1980年代の音楽への傾倒は、一種の「時間旅行」であったといえます。

今度の行き先は平成か、令和か。はたまた、明治・大正か。

おぬまの「時間旅行」は続きます。

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