109. この瞬間、生まれ変わる

こんにちは! おぬまです。

おぬまは、今週の火曜日に体調を崩しました。

その影響は今も続いていて、咳や鼻水が断続的に出ています。

昨日は38℃を超える熱なんかも出ました。

一人暮らしのつらさ

そういう状況で、一人で家事をこなすのは恐ろしく大変だということを、僕は昨夜思い知らされました。

「あ、お風呂沸いたみたい・・・だけどまだ、ご飯途中だし・・・あ、洗濯物ためてたから着替えの靴下がない! どうしよう・・・てか、茶碗も洗わなきゃ・・・」

高熱が出ると、物事を一気に考えてしまうようです。一つ一つ冷静に考えれば処理できるものでも、混乱した頭では手に負えなくなってしまいます。

僕は「こういうとき家族とか、同居人とかがいれば、助けてもらえるのに」と思いました。

熱い体を励ましながら食べかけのごはんをラップで包んで冷蔵庫にしまい、お風呂に飛び込みました。

しかし、上がるときに「あ、バスタオル用意してなかった」

廊下は寒いのなんの。しかも、体に水がついているので床はどんどん濡れていきます。

健康なときなら笑って済ませられる事態でも、体調が悪いときには不快以外の何物でもありません。

遊びすぎたか?

そもそも、どうして体調を崩してしまったのか。

原因をいろいろ考えてみました。

バイト先か車校で風邪でももらったのか。思い出すと、バイト先も車校も、咳き込んでいる人がけっこういました。

もしくは、遊びすぎたのか。振り返ると、11月は3回もカラオケに行きました。

しかし、それを言うなら高校2年生のときなんかは週1か2でカラオケに行っていましたが、それが原因で体調を崩すということはありませんでした。

むしろ、高校3年生のときにコロナのせいでカラオケを自粛せざるを得なかった時期の方が、よっぽど体調が悪かったです。

・・・つまり、「遊び単体では」体調を崩しはしないということで(笑)

過労

僕が必死に「カラオケは悪くない」と考えているうちに、「もしかしたらこれなんじゃないか」というものが浮かんできました。

それは、過労。

単純なようで、僕にとってこれは生涯の問題と言えるものかもしれません。

僕はけっこう詰め込む方で、とにかくいつも何かしていないと気が済まないタイプです。

最近を振り返ると、バイトがない日は車校、車校もない日は遊び、という感じで「暇な時間」というものを徹底的に埋め尽くしていました。

数日前なんかは「朝、車校に行って昼大学に行き、夕方はバイト」という日もありました。

作業なども休み休み行うよりも何時間もかけて一気にやることが多く、小中学校の夏休みの宿題とかは最後の日にまとめてやっていました。

あと極端な例を振り返ってみると、「ごはん抜きで7時間かけて、糸島から佐賀まで山越えで自転車で帰る」といったこともやりました。

単に通り道に食事をとるところがなかっただけなのですが、後でバイト先の人たちから「よく倒れなかったね」と呆れられました。

もしかしたら「体力の限界に挑む」ということに誇りを持っていたのかもしれません。

ドMなのか

しかし、それは完全にあやまちです。少なくとも、僕にとっては。

わかってはいるのですが、どうしても自分を疲れさせることに躍起になってしまいます。

いわゆる「ドM」なのでしょうか。

今日気づいたのですが、家に一人でいるとき僕は「食事中・ゲーム中・寝ているとき」以外はずっと歌っていました。

それも口ずさむとかではなく、全身で(笑)

多くの場合、歌うと同時に踊っていました。

たぶん一日で平均5時間くらいは歌っていると思います。

大学、バイト、車校・・・そして家に帰るとまるでカラオケにいるかのように歌い、踊り・・・これでは体も音を上げるはずです。

特に最近は一段と寒くなってきましたし、3日ほどみそ汁を食べていなかったのも大きいでしょう。

占いで

僕のお母さんは西洋占星術の占いをやっていて、その占いはけっこう的を射ていると思います。

しかし、インターネット上にある占いもまた、あるいは的確なものもあるのではないかとときどき思います。

インターネットの占いでは、ゲッターズ飯田という人や水晶玉子という人のものをよく使います。

ほかにも検索したときに出てきた占いをやってみたりするのですが、以前「過労になりやすい」という結果が出たことがありました。

もしかしたら、その占いに引きずられて自ら過労を招いたのでしょうか・・・いや、その前から自分を追い込みやすいタイプだったので、おそらくこういう性分なのでしょう。

見たところお父さんもけっこう、無理している感じなので、これは遺伝なのかもしれません。

もっと広くとらえてみると、日本人自体がもともと「勤勉・努力・忍耐」などに価値を見出す傾向にあるので、民族的な性向と言えなくもありません。

そういえば、以前「なぜドイツ人は1年に150日休んでも仕事が回るのか」という本を読みました。そのタイトルからして、日本人の生真面目さがにじみ出ているような気がします。(深読みすぎるかもしれませんが)

もっとも、生真面目が必ずしも善であるとは限りませんが。

大きく変わった予定

さて、まだ体調が完全には回復していないせいか、今日は妙に悲観的になっているような気がします。

ただ、見方を変えれば、今回の不調を機に「ゆるやかな生活」を目指していけばいいだけのこと。

ここで少し、体調を崩す前の今週の予定を見てみましょう。

月曜日 授業が終わったあと友人とカラオケ、食事
火曜日 (祝日)5時間バイトしてから、車校
水曜日 車校に行ってから大学で授業を受け、3時間バイト
木曜日 高速教習(3時間連続)を受けてから、オンライン授業
金曜日 授業の後、車校
土曜日 9時間バイト
日曜日 車校の後、バイト先の人と焼肉

・・・これはちょっときついですね~(笑)

そして、体調を崩したことで変化した「新たな予定」を見てみましょう。

月・火曜日 上に同じ
水曜日 バイトを休む
木曜日 授業を休む
金曜日 大学で授業(車校は行かない)
土曜日 9時間バイト
日曜日 のんびり(焼肉に行くかは検討中)

だいぶゆとりが出てきました。

しかし今日は家に一日中いた分、パソコンやスマホを触る時間も長くなってしまいました。

これでは逆効果。

もしかしたら自分は「何もしない」ということに恐怖を感じているのかもしれませんが、ここは何としても、1時間だけでも「何もしない」時間を持つべきだと思いました。

忙しく暮らしているだけでは、見えないものがあるんじゃないか。僕はそういう風に思い始めました。

一体、何を急いでいるのか。いつからこんな風になったのか。

星新一の本を読みながら考えていると、もしかしたら、これが現代人というものなのかもしれないな、とふと思いました。

どう生きるか

数年前、お母さんが知り合いの人に僕の前世を見てもらったそうです。

本人がいないところでどうやって見たのかはわかりませんが、それによると僕の前世は「山奥に籠った修行僧」だったそうです。

そのときの記憶など既にないのでわかりませんが、そういう境遇の者にとって今の僕が抱えているような「焦り・不安・過労」などは無縁のものだったのではないでしょうか。

つまり、そういうものを体験するために僕は生まれてきたのか?

一旦はそういう風に考えてみましたが、この先ずっと 焦り、何かに不安を感じながら、自分を追い込んで生きていくのはつらいことだと思います。

できればそういう生き方はしたくありません。

となると、「一度焦り・不安などと共に生きて、過労をも体験したのちに静謐(せいひつ。静かで落ち着いていること)の良さに気づき、穏やかな生き方を目指す」というのが、

僕の人生の方針なのではないかと思います。

そのことに気づいた以上、もはや自分を追い込むことはキッパリやめることにします!

そして、心にゆとりのある生活を追い求めていきたいと思います!

僕は今この瞬間、生まれ変わります。

https://www.youtube.com/watch?v=hl-6pkwtd_s
ブログを書きながらこれを聴いていると、心が落ち着いてきました


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