9月10日、新居の鍵を受け取るために、九大学研都市駅の中にある九大生協に行きました。
そのころ僕は、佐賀の実家にいたので佐賀から糸島までやってきたことになります。
もともと、鍵の受取日は9月10日と11日のどちらかを選べるはずでした。が、先方の都合で10日に決まってしまったのです。。。
11日に糸島まで車を運転してくれる予定のお父さんは、10日は仕事でいませんでした。なので、お母さんの車で行くことに。
聞くところによると、お母さんは自動車免許を取るときに、AT車で12回も補講を受けたのだとか。・・・いったい、当時どんな運転をしていたのでしょう(笑)
そして、「山道はほとんど走ったことない。一回唐津まで行ったときは、帰りの運転中に足がつったけど、そのまま運転していた」とのこと。
・・・それ、結構ヤバイやつやん!(笑)
危険なカーブ

さて、先方との約束は12:00だったので、それに間に合うように10時過ぎには家を出ました。
最初の方は平坦な道だったのでまあよかったのですが・・・
大和を通過し、三瀬峠のあたりにやってくると、そこには連続カーブがありました。しかも下り坂。
「これは・・・」と僕は少し不安に思いました。
案の定、おそろしいことが起こりました。
お母さんは「ブレーキ踏んでるのに~スピードが抑えられない~」と言いながら下り坂のカーブを走行。助手席に座っていましたが、けっこう体への負担が大きかったです。
カーブを曲がるたび、僕の顔は引きつり、そのうちキツネになるんじゃないかと思ったくらいでした(笑)
あおられ運転
しかも悪いことに、そのうち真後ろを走り屋っぽい外見の車(車高がやたら低かった)が走行し始めました。
「ぶつかるよ!」というくらいまで接近してきて、「あー、あおられてるな~」と思いながらミラー越しにその車を見ると、なんと初心者マーク。
えぇ、初心者マークにあおられてるよ・・・(笑)
他にも、登坂車線に移動して道を譲っているのに、中々追い抜いてくれずにずっと後ろをついてくる大型トラックや、
料金所でやたら時間をかけるバイク(そのあともけっこう長い間、ご一緒しました)など、
とにかく癖のあるメンツがそろっていました。
安心したのも束の間・・・
いろいろとあおられながらも、何とかカーブを切り抜けました。
するとお母さんは安心したのか、どんどんスピードを上げていきます。
「そういえばこの辺・・・」と僕はふと思いました。そのあたりは以前、自転車で通った道でした。
たしか、この辺に工事のために急にこしらえられたカーブがあったような・・・
と思った瞬間、「うわ、何この急カーブ!」とお母さんの声。
そして、急ハンドル。僕はぐわんと車体が傾いたように感じました。
結構なスピードを保ったまま、カーブを2連続。しかもかなりの急カーブ。
僕は「今度こそ終わったな」とひそかに思いましたが、ここもギリギリ通過。だけど、けっこう際どいところでした。
市街地でもひと暴れ
そのうち市街地に入りました。
「ふーっ、やっとここまで来た。。。」
しかし九大学研都市駅前の駐車場に入ろうとしたところ、お母さんは標識に惑わされたのか「え、どっち!?」とまたもや急ハンドル。
対向車はびっくりしていましたが、お母さんは「佐賀ナンバーだから許してー(笑)」
急ハンドルまでして入った駅の駐車場は、狭すぎて停める場所がなかったので、付近のイオンの駐車場へ。
そこで僕たちは、駐車場を何度も出入りしている怪しい初心者マークの車を目撃。駐車の練習でもしていたのでしょうか。。。
車を停めた後は、歩いて九大生協へ。
まるで糸島に来る道のりがメインで、鍵の受け取りがそのついでであったかのように、九大生協での用事はあっさりと終わりました(笑)
そして、13時過ぎには帰路につきました。
雨の中を走行
行く途中で「もしこれが雨だったら、こんな山道絶対運転したくないよ」と言っていたお母さん。
ところが、残念ながら帰り道は雨でした。
行きと違って、帰らないといけないので「雨降ってるから運転しない」ということはできません。
というわけで、お母さんは泣く泣く運転。しかし、例の連続カーブに差しかかった時、「行きが下り坂だったから、帰りは上り坂じゃん」ということに気がつくと、
お母さんは途端に元気を取り戻しました。
おわりに
帰りは特に危険な目に遭わずにすみ、14:50くらいには家に着きました。
今回の糸島行、途中で何度か「ここが墓場か」と目をつぶることもありましたが(特にトンネルに入った後でお母さんが「あ、トンネル運転するの初めてかも」とつぶやいたとき)、
何とか一命をとりとめることができたので、よかったです。
僕は今自動車学校に通っているところですが、今後、バイトが週4で入ることになるようなので、空いた時間を見つけてなるべく早く免許をとりたいです!

↑ 聖子さんも1981年ごろ、運転免許を取りに行っていたそうですが、仕事が忙しすぎて結局断念したみたいです・・・
1981年と言うと、19歳の頃ですかね。。。あ、今の僕とおんなじだ(笑)
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