先日、司馬遼太郎の「世に棲む日々」という本を読みました。
この本は4巻で構成されており、主に幕末の長州藩を舞台に物語が展開していきます。
何が主題か
1巻から2巻の前半にかけて、吉田松陰を主体とした文章が多いので、以前この本を読んだ時からずっと「この本は吉田松陰について書かれた本だ」と思い込んでいました。
ところが、改めて読んでみると吉田松陰にスポットライトを当てて書かれているのは、前述のとおり1冊半程度であり、
残りの2冊半はほとんど「高杉晋作」という男の物語で埋め尽くされていました。
この比重の違いから、今度は「『世に棲む日々』の主人公は高杉晋作なのではないか?」という考えが湧き起こってきました。
そう思いながら読み進めていると、4巻の巻末にある「(作者による)文庫版あとがき」の中で
「とくに、人間が人間に影響をあたえるということは、人間のどういう部分によるものかを、松陰において考えてみたかった。そして後半は、影響の受け手のひとりである高杉晋作という若者について書いた」
という記述があることに気がつきました。
つまり、吉田松陰と高杉晋作のどちらがメインかということは枝葉の問題で、
この2人を主として「個と個の関係性がもたらすもの」を考察することこそが、この作品の主題なのだと思います。
高杉晋作の生涯
ここで、吉田松陰と高杉晋作の関係性がもたらしたものについては、松陰死後の高杉晋作の足跡をたどることによって、少しは知ることができると思います。
松陰も鎖国下の日本でアメリカやロシアに密航しようと企てる「ぶっとんだ人間」ですが、
(この場合の「ぶっとんだ」は、単に「変わっている」というだけでなく、「先覚的である」という意味も含んでいます)
物語後半に描かれる高杉晋作は、松陰以上に破天荒な人生を送ったといえます。
攘夷の目的
特にすさまじいのが、彼の人生の最後の5年間。
1862年、上海に渡って西洋列強が中国を侵略しているさまを目の当たりにした晋作は帰国後、長州藩政府に対して富国強兵策の採用を進言します。
しかし容れられず、晋作は亡命して江戸で攘夷運動をすすめることに。
晋作には、
「外国の要人(公使など)を斬りまくることで外国を怒らせ、戦争を起こすことによって長州や日本をめちゃくちゃにし、新しく生まれ変わらせる」
という考えが念頭にあったようである、と作者の司馬遼太郎は言っています。
確かに、約260年間平和の中に生きてきた人々が列強の侵略に立ち向かって自分たちの権利を守れるようにするためには、そういった荒療治も必要かもしれません。
がしかし、「ちょっと考えが飛躍しすぎじゃないか?」という気もします。その当時の雰囲気を実感したことがないので何とも言えませんが。。。
実は、「長州藩や江戸幕府を自滅に追い込むことによって新しい日本を生み出す」という考え方は、晋作が松陰から受け継いだ
日本における革命の基礎戦略論であったようです。
奇兵隊創設と、迫りくる危機
結局、晋作は同志を募って1862年末に江戸御殿山にあったイギリス公使館を焼き打ちします。
その後さらに、将軍暗殺を計画しますがこれは頓挫してしまいました。。。
晋作は、将軍暗殺を企てたことを反省するつもりか、それとも全く別の目的からか剃髪して「東行」と名乗りはじめます。
そして、「10年間は山にこもる」といって世間から姿をくらましてしまいました。
ところが、間もなく長州藩士たちによる攘夷運動をやめさせるために、英・米・仏・蘭の4ヶ国艦隊が下関に来航し、下関戦争が始まってしまいます。
晋作は藩政府によって「馬関(今の下関)総奉行」に抜擢され、このとき歴史上有名な「奇兵隊」を創設します。
奇兵隊は武士だけでなく農民や町人、商人なども入隊でき、隊内に階級差別がないという点で、実に画期的な軍隊でした。
(ただ、誰でも入れたのでガラの悪い連中も多く入隊し、風紀はけっこう乱れていたみたいです)
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「誰でも入れる」当時としては夢のような軍隊、奇兵隊を作ったものの、下関戦争の戦況は芳しくありませんでした。
さらに悪いことに、同時期に京へ進撃していた長州人たちが無残に敗れて撤退し、
その後を追うようにして幕府が長州征伐の準備を着々と進めていたのです。
命の危険
長州藩としては、「腹背に敵を抱えていては、どうしようもない」ということで、外国艦隊とは講和することに決め、
その正使として晋作が選ばれました。
しかし、講和交渉に関して藩政府と晋作の意見が食い違い、さらに今まで外国艦隊を相手に戦ってきた兵士たちの中には
「高杉は攘夷を捨てて、敵に国を売るのか」と怒って晋作を斬ろうとする者も出てくる始末。
命の危険を感じた晋作は再び亡命しようとしますが、周囲の説得で一応講和が締結されるまでは交渉の席に出ました。
悪いことに、講和条約締結によって藩内の不満が高まったころに幕府と諸藩による長州征伐(第1次)が始まります。
すると人々の不満を利用して、今まで長州藩内で野党といえる存在であった勢力が勃興してきて佐幕政権(幕府に協力的)をつくってしまいます。
新政権側の人々にとって、晋作は邪魔者でした。
またもや命を狙われることになってしまった晋作は、ついに九州に脱走することを決意したのでした。
(つづく)
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