⑲フィードバックへの回答

どうも! おぬまです。
先日、フィードバックという機能を使って、読者の方から「おぬまさんは糸島出身ですか?」という質問をいただいたのですが、返信の仕方がわからなかったのでここでお答えしたいと思います。

現在糸島に住み、ブログの記事でも盛んに糸島を取り上げている僕ですが、実は糸島出身ではありません。。。

お父さんの仕事の関係で何度か引っ越しをしたので、小中学生のころからいろいろなところに住み、数多くの貴重な体験をすることができました。

まず、生まれたのは福岡県柳川市。そこにおばあちゃんの家があります。おばあちゃんは野菜や花を育てていて、僕が生まれたころは主に米とオクラで生計を立てていたそうです。おばあちゃんは料理が好きで、遊びに行くとおいしいごはんやお菓子を作ってくれました。おばあちゃんが作る唐揚げや芋饅頭は、絶品でした!

柳川市に生まれた僕ですが、小さい頃に住んでいたのは福岡県福岡市。その中でも、南区に住んでいました。(生後数カ月は城南区)福岡では、造形教室や少年拳法などの習い事をしていました。

小学校まで歩いて45分。今思えば相当長い距離を、7歳から9歳までの間歩いていたことになります。

そして、10歳になる年にお父さんの転勤で長崎県佐世保市に引っ越しました。佐世保は近くにいろいろなお店があり、坂が多かったので自転車には乗れませんでしたが、歩き回るだけでも結構楽しめました。レモンステーキや角煮まんじゅう、佐世保バーガーなどおいしいものもいっぱいありました。

少し歩いたところに米軍基地があったので、アメリカの人々との交流もありました。たまに銃を持った軍人がやばい目をして歩いていたので、そのときはちょっと怖かったですね。

あと、アーケード(三ヶ町と四ヶ町)では、道の端にいつも一定数のホームレスの方がおられました。道端でお酒を飲んでいて、時折大声で政権批判などをしていました。あまりにもひどいと警察官がやってきていました。なので、中には終始無言で座っている人もいました。

佐世保では、ギターや将棋、弓道、バスケットボール、ハンドボール、発明教室(自分のアイデアを形にする)、茶道、緑の少年団(緑化活動や地域清掃)などたくさんの習い事をやりました。地域の伝統行事の「蛇踊り」にも参加し、大蛇(?)を何人かの子供たちで持ち上げて踊りました。

そして、13歳(中学1年生)になる年に佐賀に引っ越しました。佐賀は、柳川のおばあちゃんの家が近い(車で30分)ので結構頻繁に遊びに行っていました。

佐賀では、県や市の交流事業に参加し、沖縄の久米島に2泊3日で行ったり、韓国に6泊7日で行ったりしました。そのほかに実行委員や生徒会の緑花部の部長となって新しい企画を始めたりしました。また、さが総文祭のボランティアをしたり、科学の甲子園や高校生クイズにも出場しました。

そして、大学生となった今、糸島にいます。つまり、糸島歴はたったの2カ月弱。だからこのブログは、糸島が地元の人が郷土をPRするものではなく、新しく糸島にやってきた人が、新鮮な目線で糸島の素晴らしいモノを特集していく、というブログです。

まだまだ糸島について、知らないことがたくさんあります。このブログを通して、皆さんだけでなく僕も糸島についてもっと深く知ることができたらいいな、と思っています。(もちろん、松田聖子など糸島に関係ないことについても書くつもりですが笑)

それではまた、次回お会いしましょう!
今日も良い1日を~!☆

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